この歌も皮肉にしか聞こえない。
ただ、この歌詞の持って行き方が好きだ。
モリッシーが皮肉を言う場合って、
これでもか!って感じで書いているのだが、
彼の場合ちょっと違う。
自分をその当事者に置いている書き方をしている。
よくよく聞いていると、これは、愛が存在していないと言っている。
そう思うわけだ。
自分の性格なのか、自分の受け取り方の問題なのか。
そういう風にしか聞こえない。
モリッシーのコンサートでお守りを買った人たちを私は批判したわけだが、
だって、彼らは限界まで頑張っているような人たちだとは思えなかったからだ。
彼らがしていることなんて、簡単なことじゃない?誰でもできるでしょ?
人事を尽くして天命を待つという言葉がある。
私が限界に挑むとき、もう祈ってる余裕なんてないんだよ。
祈っている時は、もうすでに負けているんだよ。
本当の勝負人は、他の人が祈っている間も戦っていると私は思う。
限界まで戦っている人は、放心状態にもなるが、やれることは全部やっているから
仕方ないと受け止めることができる。
つまり、こういったことが無い人たちを私は批判したというか、
自分としては、好きになれない。
私は神様の名前も知らないし、会ったこともないし、どこにいるのかも知らない。
でも、仮にそれが偉大なものだとするならば、その存在が決めればいいでしょう。
それよりも、自分のモチベーションがどこまで高くなって、
自分がどこまで、頑張る気になるのかってことのほうが大事なことだ。
一言で説明すると、所詮誰でもできるようなことをして、得体の知れない神様に祈るってのが
ただのご都合主義だということだ。所詮誰でもできるようなことですが、私だけ得をさせてくださいと言っているのと
同じだって言っているわけであって特定の人を攻撃しているわけでもなく、
これが自分の考え方だということだ。
わからないのかね?
シンプルな考え方だけど。
もし、この先、またモリッシーが奇跡的に来日することがあるならば、
エルヴィス・ディプレッスドリー風の文面で見事に皮肉を表現しようと思う。
今からでも書けるけど。